盗みをやめられないという状態は、窃盗症(クレプトマニア)という精神疾患として説明されることがあります。ただし、病名がつくこと自体は刑を軽くする理由にならず、刑の重さを左右するのは、行為の重さと、弁償や治療という具体的な行動です。しかも、窃盗を繰り返した人ほど、処分は重い段階から始まります。この記事は、再び事件を起こしてしまった方に向けて、病気・行動・処分という三つの次元の関係を、順に説明するものです。
第1 盗みがやめられないのは、病気なのか
自分の意思で盗みを止められないという状態には、窃盗症(クレプトマニア)という診断名がつくことがあります。窃盗症は、ものを盗もうとする衝動を抑えられず、それが繰り返される、衝動制御の障害とされています。盗む目的が、金銭でも品物そのものでもないという点に特徴があります。
アメリカ精神医学会の診断基準(DSM-5)も、盗む目的が個人的な使用や金銭にない点を中心に置いています。裁判例のなかには、この基準をやや緩やかに読み、主たる動機や目的が個人的な使用や金銭のためでなければ足りる、としたものもあります。
窃盗症は、摂食障害と一緒に見られることが少なくありません。両者の関係の捉え方には、盗癖を摂食障害の一症状とみる見方、二つの併存とみる見方、根底に衝動制御の問題があるとみる見方があります。これらは互いに矛盾するというより、事案ごとの現れ方の違いと整理されています。
窃盗症という診断がつくことと、その行為が法律上どう扱われるかは、別の次元の問題です。診断名は、医学の見地から治療の必要性を判断するためのものであって、それ自体が罪や刑を消すものではありません。病気・行動・処分という三つを分けて見る視点が、この後の説明の土台になります。
第2 前回は執行猶予だったのに、なぜ今回は実刑を恐れることになるのか
窃盗を繰り返した人への処分は、検挙のたびに段階的に重くなります。前回が罰金や執行猶予で済んだ方が今回の実刑を恐れるのは、この段階が一つずつ上がっていく運用があるためです。
段階が上がるのは、前科そのものより、一度処分を受けて警告されたのに再び罪を犯した、という点が重く見られるためです。とりわけ執行猶予中の再犯は、その警告が強く働いていた場面での犯行にあたり、特別な事情がない限り実刑で臨むのが、量刑実務の基本的な発想です。
前回の執行猶予が今回どうなるかも、大きな分かれ目です。執行猶予の期間中に罪を犯し、その罪で実刑判決を受けると、前の執行猶予は取り消され、二つの刑を合わせて服役することになります(刑法26条)。執行猶予という制度そのものの仕組みは、執行猶予の記事で説明しています。
もう一度の執行猶予(再度の執行猶予)が認められる余地は、法律上とても狭くなっています。執行猶予中の身分で言い渡される刑が二年以下の拘禁刑で、情状に特に酌量すべきものがあるときに限られます(刑法25条2項)。
再度の執行猶予が認められたときは、保護観察が必ず付きます(刑法25条の2)。その保護観察の期間中にさらに罪を犯した人には、もう一度の執行猶予をつけることはできません(刑法25条2項ただし書)。
執行猶予中の再犯でも、その処分が罰金にとどまったときは、扱いが変わります。前の執行猶予の取消しは義務ではなくなり、取り消すことも取り消さないこともできます(刑法26条の2)。実刑になるか罰金で済むかは、この点でも大きな差を生みます。
再犯の段階がさらに上がると、窃盗罪(刑法235条)そのものではなく、常習累犯窃盗罪という別の罪が問題になります。これは盗犯等防止法という法律が定める罪で、窃盗類型の法定刑は3年以上の有期拘禁刑です。
窃盗罪の法定刑が10年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金であるのと比べると、罰金という選択肢がなくなり、刑の下限が引き上げられます。
この罪にあたるのは、窃盗を常習として繰り返し、かつ、その行為の前10年の間に、3回以上・6月以上の拘禁刑の執行を受けた前科がある場合です。前回が罰金や執行猶予にとどまっていた方は、この前科の要件をすぐには満たしませんが、実刑と服役を重ねるほど、この類型に近づいていきます。
常習累犯窃盗罪の3年以上という下限も、酌量すべき事情があれば、裁判所の判断で引き下げられることがあります(刑法66条・68条3号)。ただし、下限が下がることと、執行猶予がつくことは別の問題です。前科が積み重なった段階では、そもそも執行猶予の条件を満たさず、実刑となる例が中心になります。
第3 「病気だから責任能力がない」と主張できるのか
窃盗症を背景とする事件で、心神喪失や心神耗弱が認められた裁判例は、ほとんど見当たりません。実務では、窃盗症の人は、完全な責任能力があるとされることがほとんどです。
責任能力は、刑法39条が定めています。心神喪失の人の行為は罰せられず、心神耗弱の人の行為は刑が軽くなります。もっとも、その中身は条文に書かれていません。
判例は、精神の障害によって、物事の善悪を判断する能力(弁識能力)か、その判断に従って行動する能力(制御能力)が失われた状態を、心神喪失としてきました。これらの能力が著しく衰えた状態が、心神耗弱です。
窃盗症で主に問題になるのは、制御能力の方です。裁判実務では、犯行の様子が理にかなっているかどうかから、制御能力があったかどうかを推し量る考え方がとられています。
盗む間も悪いことだと分かっていた、人目を避けていた、盗む物を選んでいた、という事情は、いずれも衝動を抑える力が残っていたことをうかがわせる方向に働きます。
心神喪失や心神耗弱が認められてきたのは、慢性期の統合失調症や高次脳機能障害など、外からの病気の影響がはっきりした類型が中心です。窃盗症を背景とする事件でも、基本的に完全な責任能力が認められています。心神耗弱が認められたのは、ほかの疾患が併存するごく少数の事案にとどまる、と整理されています。
窃盗症だけを理由に心神耗弱を認めた地方裁判所の判決が、上級審で覆された実例もあります。商品を選び、人目をうかがい、一部だけ精算して通常の買物客を装っていた犯行の様子から、自分の行動を相当程度は制御できていたと判断されました。この事件は完全な責任能力を認める形で確定しています(東京高裁令和4年12月13日判決)。
心神耗弱の主張が通る場面が、皆無というわけではありません。摂食障害を合併した事案で、心神耗弱の判決を得た経験を紹介する弁護士もいます。ただし、それはごく限られた場面です。窃盗症という診断がつくこと自体から、責任能力が否定されたり軽くなったりするわけではありません。
第4 治療を受ければ、刑は軽くなるのか
量刑を動かすのは、病名そのものではなく、行為の重さと、実際にとった行動です。第1で触れたとおり、病気・行動・処分は別の次元にあり、診断がついたことが、そのまま刑を軽くするわけではありません。治療を受けていることも、この「実際にとった行動」の一つとして意味を持ちます。
近時の裁判例も、窃盗症にかかっていること自体が直ちに刑を減じる事情となるわけではない、と明言しています。
「病気だから刑を軽く」という考えには、理屈のうえで弱いところがあります。窃盗を繰り返すから窃盗症と診断され、その窃盗症は衝動を抑えられない病気だから今回も抑えられなかった、という理屈です。
こう説明すると、盗みを繰り返したことを、盗みを繰り返す病気のせいだと言い換えているだけになりかねません。犯行が病気で説明できることと、その人をどれだけ強く非難できるかは、別の次元の問題です。
量刑の考え方の土台には、行為責任主義があります。刑は、その人が行った犯罪行為の重さにふさわしいものであるべきだ、という考え方です。この考え方は、刑を重くしすぎないための歯止めであると同時に、事後の事情だけで刑を軽くしすぎないための歯止めとしても働く、と実務では理解されています。
治療を続ければ再犯を防げる、という見方はあります。ただ、治療を最優先すべきだというのは、治療する側から見た理屈でもあります。再発を防げるという事後の見込みを、限りなく重く見て刑を軽くしていくことは、行為の重さを基礎に置く量刑の考え方とは、そりが合わない面があります。
実際の裁判でも、この点の評価は分かれています。治療の環境が整い本人の意欲も高まっているのだから、服役で治療を中断させるより社会内での治療を続けさせた方がよい、という判断をした例があります。
一方で、通常どおりの量刑にとどめる立場も、なお有力です。治療が必要で有効だとしても、それだけで刑事責任が大きく軽くなるとはいえないこと、服役したあとでも治療は続けられることが、その理由として挙げられます。
もっとも、これは治療に意味がないという話ではありません。窃盗症の治療にあたる臨床の側でも、病気として治療する一方で、病気を犯罪の免罪符にはしない、という姿勢がとられています。治療は、刑を軽くするための道具ではなく、同じ過ちを繰り返さないための、本人自身の取り組みとして位置づけられます。
第5 弁護士は、いま何をしてくれるのか
弁護人は、治療につなげる働きかけを、更生の環境を整える活動の一つとして進めます。第4で述べたとおり、量刑を動かすのは病名ではなく客観的な行動ですから、弁護人の仕事も、その客観的な行動を一つずつ形にしていくことになります。
執行猶予中の再犯で、もう一度の執行猶予という例外的な結果を目指す場合、実務では、次のような事情をそろえて立証していきます。
【再度の執行猶予を目指す場面で、そろえていく事情】
- ① 本人が病気であり、治療の効果が上がっていることについての、医師の意見書や証言があること
- ② 実際に治療を継続していること
- ③ 本人に、治療を続ける意欲があること
- ④ 家族の協力が得られること
- ⑤ 判決までに、再び盗んでしまわないこと
被害の弁償も、更生に向けた客観的な行動の一つです。盗んだ物を返し、損害を償うことは、犯罪で生じた被害を事後に埋め合わせる行動であり、そのぶん刑を科す必要性を和らげる事情として受け止められます。
店舗との示談が成立すれば、被害が回復したことをより明確に示せます。示談書に何を書き、どう取り交わすかは、示談書の記事で説明しています。
再び罪を犯さないための具体的な計画を整えることも、弁護活動の柱になります。通院や入院を続ける段取り、家族が生活を見守る体制、金銭の管理の方法などを、目に見える形にしていきます。これらは、治療という本人の取り組みと、家族による監督とを、両輪としてそろえる作業です。
ここで注意したいのは、弁償と治療は、別々の意味を持つという点です。弁償は、すでに起きた被害を償う行動として評価されます。治療は、これから先、同じことを繰り返さないための取り組みとして評価されます。どちらも大切ですが、性質の違う事情として、それぞれ積み上げていく必要があります。
第6 今回の見通しは、どうなるのか
窃盗は、刑務所を出た人が再び刑務所に戻る割合が、他の犯罪と比べて一貫して高い犯罪です。法務省の令和7年版犯罪白書によると、令和5年に刑事施設を出た受刑者のうち、2年以内に再び刑事施設に入った人の割合は、窃盗で19.7%でした。
この数字は、実刑判決を受けて服役し、出所した人を母集団にしたものです。前回が罰金や執行猶予で済み、服役していない方は、そもそもこの数字の対象には含まれていません。
執行猶予中の再犯には、特別な事情がない限り、実刑で臨むのが量刑実務の基本的な発想です。窃盗を繰り返した末の再犯では、実刑となる可能性を正面から見据えたうえで、そのなかで何ができるかを考えることになります。
もっとも、これらは一般的な傾向であって、ご自身の事件の結論を決めるものではありません。今回どのような刑になるかは、犯行の内容、前科の重なり、弁償や治療の状況といった事件ごとの事情を踏まえて、最終的には裁判所の判断にゆだねられます。
第7 よくある質問
1 窃盗症の診断書を出すことに、かえって不利になる面はないのですか
診断書は、責任能力や情状を検討する場面では、有利な材料になりえます。一方で、盗みを病的に繰り返す習癖の現れだ、という見方につながり、常習性を基礎づける方向に使われる可能性もあります。診断名を出すかどうか、どの場面でどう使うかは、事件の内容を踏まえて弁護人が検討する事柄です。
2 被害を弁償して示談すれば、刑は軽くなりますか
万引きのように、盗まれた品物が被害者の手元に戻ることが多い類型では、弁償や示談は成立しやすいものです。その反面、この種の類型の場合、弁償や示談だけで刑を大きく動かす力は、相対的に小さいとみられています。弁償は前提として整えたうえで、治療や再発防止といったほかの事情と合わせて積み上げていくことになります。
3 単純な万引きの繰り返しでも、常習累犯窃盗罪として重く処罰されるのですか
常習累犯窃盗罪にあたるには、二つの要件が必要です。窃盗を常習として繰り返していることと、その行為の前10年の間に、3回以上・6月以上の拘禁刑の執行を受けた前科があることです。
前科がそろっていても、常習性は自動的に認められるわけではありません。今回の犯行が、過去の窃盗と動機や手口の点で似通っていて、盗みを繰り返す習癖の現れといえるかどうかが争われます。過去には、前科と今回の万引きとで動機や手口が大きく異なるとして、常習性を認めなかった裁判例もあります。
第8 本記事の前提と更新
本記事は2026年7月時点の法令・運用に基づきます。判例・法改正に応じて随時更新します。
窃盗事件のご相談は、当事務所でも受けています。相談の方法と費用は、費用のご案内をご覧ください。
参考文献
- 竹川俊也「『万引き』と責任非難・量刑」高橋則夫先生古稀祝賀論文集刊行会編『高橋則夫先生古稀祝賀論文集(下)』(成文堂、2022年)57-95頁
- 林大吾「病的窃盗常習事件に関する量刑及び責任能力判断の現状と課題」専修大学法学研究所所報58号(2019年)121-148頁
- 友重雅裕「窃盗症と責任能力・量刑」植村立郎監修『刑事事実認定重要判決50選〔第4版〕』(立花書房、2026年)85-101頁
- 小池信太郎「量刑における行為責任主義と量刑事情の位置付け」司法研修所論集第135号(2025年)1-44頁
- 石井伸興「常習累犯窃盗罪」植村立郎監修『刑事事実認定重要判決50選(下)〔第3版〕』(立花書房)第51番141-154頁
- 粟田知穂「常習性」警察学論集77巻8号(2024年)
- 高橋則夫『対話による犯罪解決―修復的司法の展開』(成文堂、2007年)第4章「犯罪・非行に対する修復責任の可能性」
コメント